書くネタがあまりないので、ブログが中々更新できずにいます。 去年は毎日書いていたのにやる気ないですねw 



私は数日前、友人の結婚式に参加するために福岡から横浜まで行ったのですが、ホテルと航空券が一緒になったチケットで泊まったホテルがなんと、寿町というドヤ街のホテルだったのです。 


寿町なんて、福岡の人間にはわかりませんよw


昼間から道端で座り込んでタバコを吸う人らや昼間からワンカップ飲みながら競馬新聞など片手に談笑しているおじさんたちがたくさんおり、ちょっと普通でない何かを感じました。


「雰囲気がどこか東南アジアの不穏な安宿街に似ているなあw」


などと感じ、現地で仲良くなった人や、以前横浜の役所で働いていたという一緒に結婚式に参加した友人に翌日聞くと、その「寿町」は生活保護者が多く、元々港湾労働者ばかりの住んでいた地区でけっこう危険なところだと言っておりましたw

他の友人らは私より安いチケットをとっていたのにも関わらず割といいホテルに泊まっていたので、私の「バックパッカー」としての深い深い因縁のようなものを感じざるを得ません。



まあとにかく、それはいいとして、今日、バイト先のIさんという人に以上のやうなことを話したら、なんとその人は学生時代に横浜に住んでいたというのです。 


そして、寿町の話をしたら


(Iさん)「あそこ東南アジアみたいな雰囲気のところでしょ笑 実はね、そのもっと先にいったところは『黄金町』っていって、いつも女がずらーーーっと並んでいた地帯があったんよ。 今もあるかなあ!? もう20年前の話やけどね。女が路上で客引きをするんよ。 建物の二階が四畳半とかの部屋でそこで行為ができるってやつ。」


(俺)「ちょんの間ですか?」


(Iさん)「そうそう、ちょんの間。 20分1万円だったっけなあ!?30分だったかもしれない。 俺が学生の時はほとんどタイ人やったけどね」


(俺)「すごい時代っすねえ笑」


(Iさん)「そうそう、でもタイ人の女の人綺麗だから、俺の友達はさ、そこにハマってタイ人の女作って、大学卒業する頃にはタイ語ペラペラになってた奴いるよ(笑)  で、ちなみにそいつ仕事も、タイ語ができるからタイ語を使う仕事に就いて、一年のうち三ヶ月はタイに居て、当時のタイはめちゃくちゃ物価やすかったからかなりいい生活してたみたい(笑)」



(俺)「いやあ、人生本当、何で成功するかわかりませんよねw」







まあこんなバカ話をしていたわけだが、本当に人生何がいいかわかったもんではないなと私なりに本気で思ってしまったわけです。 



Iさんの友人は、ただ好きで「ちょんの間」といふ違法風俗に出入りして散々女を抱いて遊んでただけだと思ふ。 そして、もっと女と仲良くなりたいからタイ語まで習得してしまった。 




そしたら、「タイ語」という日本人では習得しようという人が多くない言語をいつの間にか覚えていたため、貴重な人材となり、タイ語を使う仕事に就いたのだ。 



苦労して英語を勉強するような人とは違い、タイ人のオネエちゃんと仲良くなるために覚えたタイ語。 


そのタイ語を使う仕事がどういうものか私は知らないし確認してもないが、「好きなことをしていたらいいことが起こった」という「ありがち」な「スピリチュアルな成功体験談」のやうな話でもある。




そして私はいつか聞いた、こんな話を思い出した。



ある、親の遺産として莫大な財産を得たドイツ人の兄弟がいた。 真面目だった兄はそれをしっかり貯金してまじめに生活を送っていたが、弟は遊び人でいつも酒を飲んで暮らしていた。 二人の祖国であるドイツは世界大戦で負け、ハイパーインフレーションに見舞われ、ドイツマルク(当時の通貨)は紙くず同然となった。 もちろん兄の貯金していたお金の価値はなくなったわけだが、弟はそれまでさんざん遊んできたときに培った酒の知識で、酒の商売をして大成功した。



つまり、真面目に貯金していた男がバカを見て、遊んで好なことやっていたほうが成功した、という話である。


何故かIさんの友人と、このドイツ人の弟が、私にはかぶって見えた。


村上龍も、「限りなく透明に近いブルー」というデビュー作がとても売れたために、記者から「何が一番苦労しましたか」としょっちゅう尋ねられてとても困ったらしい。 苦労など全くしなかったからだ。 多くの人間は「苦労」しないと「成功」しないと考えているらしい。



もしかしたら、真面目なことは罪なのかもしれない。 






きっとそんなつまらない男よりも、



自分の欲望に忠実な男に、神は(もしかしたら女も)微笑むのかもしれない(笑)




などと今日バイクで帰りながら本気で思っていたのだった。 (笑)




最期まで読んでくれた方ありがとうございました(笑)















バンコク裏の歩き方
皿井 タレー
彩図社
2011-02-25










最近自分に課していることがあります。

「お疲れ様」と言わないことです。

職場等での挨拶で、普段から皆さんは「お疲れ様」という言葉を使いますよね。


一体誰が考えだしたのかわかりませんが、私がバイトを始めた高校生のときにはもう使われてました。(2000年前後) 

最初は違和感を感じていたのですけれど、皆が使う慣習だと思って何となく自分でも使い始めるとそれが当たり前になってしまいました。


私の従兄弟は、中学校から明治学園に進んだ秀才なのですが、明治学園で交わされる挨拶は「ごきげんよう」らしいのです。


私は、「何が『ごきげんよう』だよ」と若いときは内心バカにしてたのですが(笑)、明治学園などの通う上流な人たちというのはそもそも使用する言葉からして違うものなのですね。  




ある動画で、「お金持ちになる人には、お金持ちになる言葉遣いをして、お金持ちになる思考をして、お金持ちになる行動をする」といっておりましたが、明治学園に通う人たちはまず「お金持ちになる言葉遣い」を身につけるのでしょうね。




そもそも、何が「おつかれ」なのだ!? とよく考えたらそうなのですけれど、当たり前となった慣習とは恐ろしいものです。




日本人はみんな疲れている。 老若男女、ことごとくが「疲れている」とは思いませんか!?



私が社会を俯瞰してみると、みんな疲れ切っているように思います。



電車にのっていると非常に暗い、じめじめした嫌なエネルギーを感じますし、街へでると、疲れたお父さんたちがしたくもなさそうな家族サービスの為にさらにつかれているように見えます。 表情が冴えず、青白く、少し悲痛な表情を皆がもっているように思うのです。
 

日本全体を覆う暗いエネルギーをずっと感じているのですが、これが私の錯覚であることを願います。


とにかく、何故、日本人はこんなに疲れているのか、とよく私は疑問に思うのですが、その日本人の疲れの原因は、まず皆がいつもつかう「おつかれ!」という言葉にあるのではないか!?という極端な仮説を立ててみたいと思っております。


「疲れる」とは「憑かれる」とも言えます。 同じ読み方なのですから、漢字が日本に入って来る前、二語とも同じこととして形容していたはずです。(違ったらすみません)


そもそも日本には言霊を信じる風土があります。 


萬葉集(万葉集)に

磯城島(しきしま)の日本(やまと)の国は言霊の幸(さきは)ふ国ぞま幸(さき)くありこそ


と書かれているくらいですから、言霊が現象化することを昔から日本人を信じていたのです。 (ちなみに私は万葉集を読んだことありませんので受け売りです笑)





「お疲れさま!」と連呼していたら、言霊の作用として、どんどん「疲れる」もしくは「疲れさせる」現象がどんどん起こってくるとはいえないでしょうか!?



ちなみに、「ツイてる」と言えばツイてる出来事が起こるという斉藤一人は有名ですよね。 でも「ツイてる」→「憑いてる」と言えなくもないので良い言葉なのかどうかわかりません。


また、江戸時代に、黒住宗忠という宗教家がおりまして、ハンセン病患者に「ありがたい」という言葉を一日一万回唱えさせて、一週間後に完治させたという伝承も残っております。 



オカルティックに感じるでしょうが(笑)、信じない人は聞き流して、どんどん「お疲れ」と言ってください。 

そして「おつかれ!」が「お疲れ!」そして「お憑かれ!」となっていって、変な低級霊などに取り憑かれておかしくなるということもありえます。 (これも信じなくて良いです笑) 


だいたい誰が「お疲れ」なんか言い出したのでしょうか!? 全く謎です。 


こんな習慣はさっさと日本から抹殺してしまったほうが良いと私は考えておりますが、どうしても職場なんかでは、とっさに使ってしまうのですよね……。



Hi , how do you do!?  


とか

Chao!



なんて、軽快に、ドライで、爽やかな挨拶って良いですよね。 


とにかく、無意識で使っているこのような言葉が日本人の「疲れ」の原因ではないと誰がいえるでしょう!? 日常使っている言葉ほど潜在意識に刻まれることはありません。


今後は私自信が、極力「お疲れさまです」などという言葉を使わないことを心がけようと思っております。  とっさに言ってしまうんですが・・・笑


そして、「お疲れさま」などという言葉を教えられた外国人たちにも、「そんな言葉使うなよ、その意味は"you are tired"って意味と同じだぞ」と教えてあげたい気持ちになります。


どうか、これを読んでくれた皆様も、「おつかれさま」などという言葉を使わないように成り、日本全体がもっと爽やかな空気で満たされるようになることを願います。





お久しぶりです。  随分とブログも書いていなかった氣がします。というか書いていない(笑)


最近は、つなぎの為にやっていたバイトが忙しくなり、疲労困憊のままブログなんぞ書く氣にもならなかったのです。 


実は、何で久々に筆をとろうと(キーボードを打とうと)思ったかと云ふと、日本に帰ってきてからずっと感じていた息苦しさの原因がわかった(かもしれない)からです。


最近の私は、前に進んでいないという実感と、また何をやるべきか迷いに迷っている今の状態により非常に強いストレスを感じておりおかげで酒の量が増え、自棄酒(やけざけ)をするやうになつておりました。


そして朝、二日酔いで目が覚めると、酷い自己嫌悪にさいなまれるのです。 こんなことをやっていては何も解決しないということはわかつてゐるので、とりあえず、独り酒をやめることにして、代わりに毎晩瞑想をすることにしました。



まあ、それはどうでもいいです。


とにかく、この日本の生きにくさの原因は何なのか!?  私はひとつの結論に達したのでそれが何だか嬉しいのです。


私は、この苦しみの間、インスタグラムのある人の投稿でこの本が紹介されているのを発見しました。


あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。 他人に支配されず、自由に生きる技術



満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦 (角川新書)




著者は、安富歩(やすとみあゆみ)といって、女装をしている東大教授ですね(笑)

この二つの著書を読んでわかったことは、現代日本の生き辛さの原因は「立場主義」と、それを産み出した戦前の体制を実はそのまま現代日本が引き継いでいるのだ、ということです。


安冨氏は

「日本人は自分(もしくは相手が)どういう「立場」でどういう「役」を果たしているかにこだわります。 私はこれを「立場主義」というイデオロギーだと考えています。 中略 「立場主義」は第二次世界大戦の際に、膨大な数の人が立場上止むを得ず人を殺し、自らの生命を危険にさらす、というおそるべき「役」を強制されたことで、日本社会に浸透した、と私は考えております。 そして、戦後、立場を守るために必死で役を果たすという行動パターンが、膨大な数の機械を動かす工場の運営に信じられない程の力を発揮して高成長を実現し、このために日本社会のエートスともいうべきものとなった」




そして、

「立場」や「役」に固執するのも、「自己嫌悪」を埋めるため。こうした立場を求めるのは、自分自身に不安を感じるからです。 

と言います。






私は、軍隊的に校則の厳しかった高校での生活と、そして応援団という(これまた厳格な上下関係に生きねばならない)部活の特殊な環境、そして、社会人になってからは自衛隊というこれ以上ない上下関係と規律主義、形式主義の環境に身を置きましたが、これらによって私は、軍国時代の残滓を舐めてきたと言えるかもしれません。 




最初は高校生活が嫌で嫌で仕方なくて何度か本気で辞めようと考えていたことがありますが、結局は高校生活に慣れ、我慢して何でも処することを覚え、惰性で嫌いなこともやってしまうことを覚えた私は、その後も嫌いなことを我慢してやってしまったりしています。  上から押さえつけるような校風を非常に嫌悪していた私の当時の感覚というものは、魂の正直な痛みとしては間違っていなかったのだと今になって思います。





嫌なことをやっている間の感情というのは本当に暗くて陰惨ですが、多くの日本人も「立場」を守るために、このような陰惨な我慢を重ね続けております。 



そして、年間自殺と考えられている人だけで三万人を超えるような異常な社会が出来上がってしまってゐます。  


先日、バイト先にネパール人が入って来ましたが、一日で辞めてしまいました。 このようなドライな外国人の感覚というものを私は非常に羨ましく思ってしまいます。 嫌なことをスパっと止められるその感覚・・。 日本人はそんな外国人の性向を見下しますが、羨ましい限りです。 我々は奴隷ではないのですから。




先に挙げた、二冊目の「満洲暴走 隠された構造」では、満州国のイデオロギーがそのまま戦後日本に引き継がれたということが書かれておりますが、私は、満洲国だけではなく、大日本帝国の戦時体制がそのまま残ったのだと思ってます。 



満洲は徹底的な統制経済の国でした。 戦後の日本の経済政策は、宮崎正義が練り上げた満洲での計画経済政策を踏襲したものです。 宮崎は満鉄(南満州鐡道株式会社)きってのロシア通と呼ばれ、その満洲経済モデルはソビエトの五カ年計画などを参考にしたと言われておりますが、日本の社会主義的な息苦しい官僚制度の根っこはこんなところに見られます。 




戦後の経済政策はうまくいっておりましたが、今は完全に機能しておりません。 膨れ上がる社会福祉、医療費などみたら小学生でもわかると思います。 

石井紘基という議員が、ソビエトと酷似した日本の官僚制にメスをいれようとして何者かに暗殺されましたが、石井紘基のいうようにこんなシステムが野放しにされていたら国が滅んでしまうでしょう。





そもそも、満洲国は、石原莞爾が予言する来たるべき「世界最終戦争」の準備の為に日本が中国からぶんどったものです。 また、ソビエトの侵攻に備えて屯田兵などを置いていたくらいですから、そもそもが軍事国家なのです。 



そして、戦後の日本は、その満洲や戦時体制下の大日本帝国の国家システムを、実は戦後もそっくり引き継いでいるのですから、息苦しいのは当然です。 組織の為に「個」を殺すことを強要されてしまうシステムが、戦後も引き継がれているのです。


最近まではあまり気づきませんでしたが、日本の学校システムも、明治以来引き継がれた軍国日本を作るために我々を教育するためのシステムがほぼそのまま残ってしまってゐます。

体育の授業で号令や笛の音で集団が一斉に行動するのは、あれは軍事教練以外の何物でもなかったのだと、自衛隊に入って同じことをしていたので、そのときに気が付きました。




戦前の軍隊では、日本人が中国大陸で蛮行を働いた、などと言われておりますが、「個」の感情を極限まで制限されて、「立場」や「役」を演じないといけないのだとしたら、頭が狂って、きっとやってしまうでしょう。 

今でも頭がおかしくなる日本のサラリーマンが多いのですから、軍隊生活では当然のことです。




中国人を銃剣で串刺しにすることは、「立場上」仕方がなく、しなければ、隊内では居場所がなくなってしまうのです。 

軍隊生活というものは本当におぞましいもので、きっと経験した人にしかわからない。 上官に恵まれなければ、そうせざるを得ない状況を拒めなくなるというのは、自分の自衛隊経験上、わかります。




最近また、「絶望の精神史」という本を読んでおりましたが、著者の金子光晴は、華北を警備する日本人兵士の様子を以下のように描写しております。 



「昭和十三年元旦、僕らは八達嶺に登り、万里の長城を俯瞰した。 日本兵の錯乱寸前の狂的な緊張の目が、僕らを必死に見守っていた。 彼らの、今立たせられているぎりぎりの場所が、理解できるようにおもった。 彼らは、門口に「祝出征」の造花の花輪を飾られた家々から連れられた庶民たちである。僕の心には、主人が駆り出されて蕎麦屋を閉めた家をのぞいた、寂しい印象が残っている。 死の危険よりも、もっと耐え難い、柄にもない悪鬼羅刹の立場を強制されることで、極端に自己を圧縮され、破裂しそうになっているのだ。」






自分の感情を押し殺し、「役」に徹する。 日本人は我慢を美徳と考えます。 ちなみにイギリス人は暴れることを美徳とするそうです(笑) 羨ましいw




しかし、徹底的に「個」を圧搾された人間はどこかではけ口を求めます。 そんな人達が中国大陸で蛮行を働いてしまったのだと思います。 軍隊とはそんなところです。



まあしかし、このそれぞれが「立場」をしっかり果たそうとすることが、日本式の秩序正しい社会を作ったことは間違いがありませんが、その自分の感情などよりも、組織の体裁や自分の立場の役割を上位にもって来すぎてしまうのが、今の日本人の不幸です。  


人間は機械ではありません。 しかし「役」に徹する機械にならなければ、日本では生きにくいのです。



だから、日本人は表情が無表情で、どこか陰鬱で、アンドロイドのようになってしまった。 


電車に乗ったり、休日に人混みの中にいると、それを強く感じて、私は気持ちが萎えてくるのです。





私は、約一年半にわたる世界一周の旅から帰って来たときに、率直に日本に対して感じたことは、「なんて暗くて元気のない国なんだろう」ということでしたが、私はその原因はおそらく管理された社会主義的なシステムと官僚制にあるのだろうとその時からなんとなく思っていました。


軍事国家というものも、秩序とコントロールを重視するイデオロギーですので、「立場主義」を産み出した戦前、戦時体制をひきずった現代日本の生きづらさの原因も「立場主義」なのです。 



そして、大日本帝国が「立場主義」で滅んだように、今の日本もきっとおなじような原因で破滅に向かうのではないかと思ってしまいます。


このような立場主義を醸成する環境の原因は私は、学校教育にあると思っています。



しかしその学校も、また企業も、公務員も皆疲れ果てているような印象を私は持ちます。 しかし、月曜日がくれば皆いそいそと仕事に向かい、同じような「静かなる絶望の日々」を粛々と無表情に送っていくのです。 


私は、海外に出て戻ってきては、「日本に根付こう、日本に根付かなければ」と右往左往しておりますが、いつも苦しくなってまた海外にいってしまいます。 私はそのたびに「俺はすこしおかしいのではないか!?」と感じて自己嫌悪に陥ることもありましたが、最近はおかしいのは日本の社会の方だということがわかって、胸をなでおろしています(笑) そして、自分の息苦しさの原因がわかって、何だか嬉しいのです。



それは先に挙げたような、立場を一生懸命果たそうとする日本人の心性とその大多数の日本人による同調圧力、そして軍国日本を引きずった日本全体のシステムによるのです。 



そして、原発の放射能のことなど、国家規模で国民を騙し、お偉方は責任をとらないのは、戦前の大日本帝国の軍隊となんら変わりません。


実は、過去の軍国日本を少し誇りに思っていた私ですが、その誇りにしていた軍国日本の残滓が私を苦しめていたのだと思うと今までなんとバカなことをしてたんだと思ってしまいます。 



年間三万人以上の自殺者と、経済の低迷、そして道行く人々の元気のなさと無表情な顔が、もうこんなことを続けていてはダメだということを物語っていると思います。





私に言えることは、「日本人よ、そんなに頑張るなよ」ということぐらいでしょうか。 

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