今日、「何故日本人は政治や宗教の話をしないのか?」とある台湾の女の子から聞かれた。 


「日本人は対立を好まないんだよ、楽しい場で政治や宗教の話をすると議論になるし、場がしらけるからね(しらけるという言葉は台湾の子はしらないかもしれないから使っていないが)。そもそも議論をすることに慣れていないし訓練もされていない。」


などと適当なことを言って見たが、どうなんだろうか。


確かに、日本人は政治的に無関心だと言われるが、かつては全国を大騒動に巻き込んだ学生運動というものがあって、戦前は政治を巡ってテロも暗殺もよく起こったし、元来が政治に無関心でるというわけではなさそうだ。 



今読んでいる村上龍の「半島を出よ」には以下のようなセリフがある。



「基本的に、政治は対立を前提とする。横川が新聞記者になったころから、右翼と左翼、保守と革新、金持ちと貧乏人、経営陣として労組など、日本社会では対立が目立たなくなっていた。隠蔽されていたのかもしれない。だが隠蔽したのは政治家ではないし、官僚でもない。そのほうが面倒がないからと社会全体で隠したのだ。横川は昨日記者さん会見で対面した北朝鮮の将校たちに衝撃を受けた。対立だけが確かな現実という世界で生きてきたんだろうと横川は思った。」





私はこのセリフが頭にあったので、その台湾の女の子には、「昔はそうでもなかったんだよ、学生運動っていうのがあって、若者と大人は対峙した、たくさんの学生が傷つき死んだ人もいる」と答えた。彼女は、日本でもそういうことがあったということにとても驚いていた。 



その台湾の女の子は、特に政治に関心がある方だと言っていたが、台湾では高校生でも国民党サイドと民新党サイドで別れて、活発に議論をし、喧嘩になることもあるのだといった。 



数年前、台湾では「ひまわり学生運動(太陽花學運)」という学生運動があった。台湾には、中国に飲み込まれるかもしれないという切迫した危機感があるにせよ、何故日本ではああいった大きな運動がでてこないのだろうかと歯がゆい思いをしたのを覚えている。 SEALSという学生の集団がいたが、そこまで大きな運動にはならなかったし、いい大人がそういう若者たちをバカにしたりして、しらけた感じで見ていた。 結局、安倍政権の一強のままの政治が続いて、水道の民営化を進めようとしたり、種子法廃止などのとんでもないやりたい放題の政治が繰り広げられている。




何故日本人は、政治のことを語りたがらないのだろうか。



日本人がノンポリ化したのは学生運動が徹底的に叩きのめされたからだという意見もある。 その後経済的に豊かになっていったからという理由も挙げられるとおもう。



その台湾の女の子は、ボランティアで日本の学校に行ったときに、政治の話を学生に問いかけたらしいのだが、みんなよくわかってなかったのだそうな。 これは致命的であるが、そもそも政治に関して知識も関心もないのだ。 


元来ロックやパンクといった音楽には反体制的な要素が根底にあるはずで、とくにアメリカや欧州のパンクでは、政治とは切っても切り離せないものがある。 それなのに、日本では政治を音楽に持ち込むなという意見が強くあり、数年前のフジロックでも音楽フェスでの政治演説にたいする嫌悪感を顕にする人がものすごくいた。私はそんな日本人に驚いた。


三宅洋平が数年前の選挙で世間を賑わせたが、あのようにミュージシャンが選挙に立候補するという例はよくあることだ。台湾ではCHTHONIC(閃靈)というブラックメタルバンドのボーカルは政治家になり台湾独立を主張し、中国の影響力を排除しようとしている。 昔、デッド・ケネディーズというアメリカのパンクバンドのボーカルが、選挙に立候補したりした。   


日本人は政治的に無関心でいられる環境にいるということであろうか。 私は全くそうは思わない。


全国に展開するアメリカ軍の基地はどうするつもりなのだろうか、このまま永遠とアメリカから日本を守ってもらうつもりなのだろうか。 税金は上がるし、株式市場は賑わっていても実体経済は停滞を続けていて、私の若い頃に比べても日本人の生活はあきらかに余裕がなくなってきた。 結婚しても子供が生まれないカップルが異常に増え、精神的にも肉体的にもひ弱な人間が増えた。 周りを簡単に見渡すだけでこのような異常事態がいたるところに散見されるのである。 決して政治的に無関心で良い状況ではないと思う。 
 


最近やたらと、行儀がよくなった日本人だが、決してちょっと前までの日本はそうじゃなかったことを私は知っている。 裏返して言うと、生命力が薄弱になったのだとおもう。 昔は街にでたらカツアゲにあうこともあったし、ヤクザも多かった。 飲んだくれる大人も多く、タバコはどこでもプカプカ吸っていた。 反骨精神の塊のような人間もいたし、何より昔の大人は今のひ弱なサラリーマンに比べても粗暴で口も悪く、しかし男らしい人が多かった。


最近ワールドカップで日本人がゴミを拾って称賛されたりしていたが、もちろんそういう日本人を素晴らしいと思う気持ちの反面に、わざとらしさや偽善的な、どこかつくられたようなものを少し感じたりして、複雑な気持ちになる。 


最近あるノルウェイ人旅行者にも「日本人はとても親切で優しい、私は引っ越したい思うくらいだわ」といってくれたが、そのときも何故か複雑な気持ちだった。 



優しい日本人、親切な日本人、おとなしい日本人、シャイな日本人。 


今住んでいるシェアハウスでも、日本人が外国人にたいして、日本人のことをそう形容して説明するのをよく聞くが、昔はそんな人間ばかりではなかったことを思うと、今の日本人像は昔から連綿と続いた日本人像ではないような気がしてならない。 ある時期からそういう日本人像がつくられてきたか、もしくはそういう日本人が異常に増えて来た故にそう形容せざるをえなくなったのだと思う。 



言い換えれば、日本人は飼いならされたのだ。



空手、柔道、剣道、合気道、キックボクシング、これらのオリジナルは全部日本である(空手は沖縄がオリジナル)。 こんなに格闘技好きで、しかもかつては世界を震撼させた日本軍の末裔が、おとなしいはずはないではないか。 



よく、仲の良い友人が言うことをこういうことをいう


「2005年ぐらいから、K-1など格闘技番組や、また暴力的な描写のものが目に見えてなくなっていった。」



日本人が大人しく白痴でいてくれるほうが都合のいい人達がいるのではないだろうか。



近所の定食屋の兄ちゃんが、こういうことを言っていた。 

「85年のプラザ合意以降、日本人を驚異に感じたCIAが、徐々に日本人を白痴化する作戦を秘密裏に実行していたという記事を読んだ。」


それをただの「陰謀論」だと一笑に付すことができないのは、プラザ合意から30年たった今の日本の現実を見ると、それに納得がいくからだ。


反骨精神も削ぎ落とされ、ものを考えることもできなくなった人間は明らかに増えたのである。


「半島を出よ」の下巻の最後のほうにこんな一説があった。


「リアルな現実というのは面倒くさく厄介なものだ。戦後日本はアメリカの庇護に頼ることによってそういった現実と向かい合うことを避けてきた。そういう国はひたすら現実をなぞり、社会や文化が洗練されていくが、やがてダイナミズムを失って衰退に向かう。」




とにかく、暴力や軍隊などを徹底的に排しそのような粗暴なものがまったく削ぎ落とされてしまった今の日本をみていると、文明病の末期のようなな気がしていつも心配になるのである。









半島を出よ〈下〉 (幻冬舎文庫)
村上 龍
幻冬舎
2007-08-01







漆黒の伏魔殿ソニック・ベスト
ソニック
ハウリング・ブル・エンター
2010-09-08




ベスト
デッド・ケネディーズ
トイズファクトリー
1997-07-02





大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)
オルテガ・イ ガセット
筑摩書房
1995-06-01








こんにちわ。





前回の記事で私は「内観」に行くと書きました。



三重県のある施設で「内観」という、自分の過去を詳細に調べていく作業を一週間かけてやったのです。


「内観」という言葉を聞いたことがない人も多いかもしれませんが、大まかに言いますと、自分が「世話になったこと」、「して返してあげたこと」、「迷惑をかけたこと」を自分の幼少期から現在までを思い出しながら辿って行く作業をする一種の心理療法です。


まず母からの「世話になったこと」「して返してあげたこと」「迷惑をかけたこと」を、そして次は父、祖父母、兄弟、親戚、友人など身近な人からのことを調べていき、また再度、母、父、祖父母などと戻っていく、これを一週間の間繰り返していくのです。


「内観」は、吉本伊信という方が、浄土真宗の「身調べ」というメソッドから宗教色を取り除いて確立させた一種の心理療法らしいです。


療法と言いましても、私は精神を患っていたというわけではありませんでしたが、最近非常に精神的に疲れていたのは事実です。 



前回の記事にも書いたように、私は過度な読書や、嘘か本当かわからない情報の渦にまきこまれることによって非常に観念的になっており、また日常的に使用するSNSなどによって精神的に疲労しておりました。


また、自分が「観念的」に信じていたあらゆることが信じ切れなくなり、これからどう生きていこうか途方にくれていたのです。 



インターネット、特にスマートフォンを使うようになってから、自分のインナーヴォイス(自分の心の声)や身体の調子に耳を傾けることが少なく、いつも外部の刺激に反応していただけの典型的な現代人になっておりました。 


そこで私は、一度外部情報を完全に遮断して自分自身の内部と対話し、声なき声を聞きたい、という思いがありまして、「内観」の門を叩いたのであります。




内観には「集中内観」と「日常内観」がありまして、私が参加したのは「集中内観」です。 




「集中内観」は6泊7日の間、朝6時から夜9時までの間、静かな和室の片隅に座り、屏風で外部の視覚を遮断し外部からの刺激を最低限に抑えます。 そして集中しやすい状況を創り、徹底的に自分の過去を「観て」いきます。 お風呂と食事と睡眠以外はひたすらこの作業に没頭するのです。 食事は自分の座っている屏風(屏風)内に運び込まれます。 なので一日のほとんどを狭い屏風(びょうぶ)内で座って過ごすことになります。




29日のお昼に集合し、午後二時半くらいからもう「内観」を初めておりました。




やはり最初は母に関することを詳細に調べていくのですが、集中していると日常の忙しい日々を送っていては普通はけっして出てこないようなことまで思い出されます。 「あんなことしてもらったなあ」、「こんなことで迷惑かけたなあ」、「つまらんことで口ごたえしていたなあ」とか、「いや、あの時あんなに怒られる必要はなかったんじゃないのか!?」 「母も未熟だったんだな」などいろいろと思い出しました。 


また1日3食、0歳から実家を離れる22歳まで母親に作ってもらった食事の回数を調べてみたのですが、3食×365日×22年=23496回となります。 外食したり、1日3食も食べなかったことなど考慮しても20000食ぐらいは作ってもらったでしょうし、それも毎回レシピを考えてもらい、仕事をしたあとに買い物をし、料理をした後は片付けをして、、、などと考えていたら途方もない労力をかけてもらったのだなあと思ったりし、なんとも言えない気持ちになります。そして、仕事と家事と子育てで疲れ果てて、泥のように眠っていた母の姿を観ると、目頭が熱くなり涙がこぼれるということもありました。



このように、深く深く、自分の過去を「観て」いったのです。



「内観」はその思い出された記憶がどうだったか、良いことだったのか悪いことだったのか、正しかったのか間違っていたのか、などは問題としません。 ただ「観察」するだけです。 客観的に、俯瞰するように自分の過去を「観て」いきます。 




そして自分なりの意味付けは極力排除します。 そこにリクツや自分の主観を重ねると「ありのままに観る」ことができなくなるからです。



ブッダは「ありのままを見よ」と説きました。 何もお経を唱えなさいとか、仏を拝みなさいといったわけではありませんので、「内観」はブッダの真意を汲み取った現代的な「易行」だとも言えます。



(※ちなみに「易行」とは、自力で悟りを得ようとする修行を「難行」というのに対し、信心を道筋として阿彌陀如来(あみだにょらい)の願により、浄土に往生し悟りを得る方法を「易行」と言います。 古代インドの龍樹(ナーガルジュナ)の「十住毘婆沙論」という書物にもみられる古い言葉らしいですが、「易行」とは凡夫である意志薄弱な私達が自力で仏果を得ることなどまず無理であるから、阿彌陀如来(あみだにょらい)の願にすがり浄土に往生するしかない、という浄土真宗の思想により日本で定着した言葉です。「内観」には阿彌陀如来(あみだにょらい)にすがるという思想は皆無ですが、厳しい座禅修行などが課されるわけではなく、我々凡夫でも実践しやすいという意味で「易行」といいました。)

  
そして、ずっと「観て」いくと気づくのです。「世話になったこと」は多いけど、「して返してあげたこと」は極端に少ない、と。 それは母や父だけでなく、あらゆる人に対しても、です。 そしてしばしばいろんな人に「とんでもない迷惑」をかけていたということにも気づきます。




私は元来癇癪(かんしゃく)もちで、特に小学校のときは色んな人をたたいたりぶったりしていたこと、金属バットを思い切り従兄弟に投げつけて道路まで飛んでいった金属バットが車にひかれたことや、女の子の顔にモノを投げつけて傷をつけたこと、暴力で同級生の歯を折ったことなど、考えただけでもとんでもないことをしたと申し訳なくおもいます。



中学入ってからは私の癇癪はだいぶ鳴りを潜めましたが、親は小さいころからそんな私を強く縛り付けていたし、私もそれについて反省し、自分が余計なことをすれば人に迷惑をかけると思い、それ以降自分を抑圧するような内向的人間になってしまったのだと感じたりしました。



また小学校まで仲のよかった近所の兄ちゃんが中学に上がったときに、その兄ちゃんが不良化していることを知らず、それまでのように少しからかっただけでボコボコにされた記憶や(笑)、中学の部活の上下関係や練習がつまらないことにより、それまで大好きだった野球が嫌いになったことなど、段々中学くらいから、日本社会の土台となる軍隊的上下関係が叩き込まれるようになったことなども思い出されました。
(敬語を年上に使うようになったのも、中学生くらいからです。) 



中学生くらいから、ただ単純に楽しかったなあという記憶が少なくなり、不思議と嫌な記憶が増えだすのです。 


そして、あらゆる自立の芽を潰されてきた記憶などもありありと蘇り、大学を卒業して親から世話にならずに済んだ途端に、それまで抑圧されてきたエネルギーが爆発するように外の世界(海外)に飛び出していったこと、そして自虐的なまでに痛ましい努力、苦行を課していた時期もありましたが、それもその反動でしょう。



そして、20代以降の実家を離れてからの「世話になったこと」などをよく思い出しましたが、それも「親元を離れて初めて苦労を知る」ということの体験そのままなんだと気づきます。 


そして、観察の結果、30代以降、どうして自分がこんな状況にいるのかなど、薄ぼんやりとわかるような気がしました。 



しかし、残念ながらまだ薄ぼんやりとなのです。



残念ながらまだまだ満足するほど内観が深まったとは自分の実感としては思えておりません。 



これほどまでに「過去」を観てきたことはなかったのですが、まだまだ私には俯瞰力や物事を客観視する能力が未熟なように感じております。 これは日々の訓練によって向上を成し遂げるか、更に「集中内観」に参加し養って行くしか無いのだと思います。 



どうやら脳科学では、人生長いスパンで物事を考えることができたり、うまく行っている人の脳は、前頭葉の上の方を使っていたり、頭頂葉という部位をよく使っているということがわかっているそうです。 そして、目先の利益に囚われたり、後悔するような選択をする人は大脳新皮質の大脳辺縁系の中皮質の前頭葉の下の方が活発になっている、などということも、fMRI(functional magnetic resonance imaging)という機械によりわかっているそうです。 内観中にテープを聞くことがありましたが、それにはそうおっしゃっておりました。




「内観」をすると非常に脳が疲れます。 これも、普段使わない脳力を使っているからにほかならないでしょう。 人は何かを思い出そうとするときに脳がとても活発になるのだそうですが、ただ人間は使い慣れた脳の部位を使う傾向があるので、内観をしていてもすぐに別の妄想をしたりしてしまいます。やはり訓練しないと俯瞰力や客観性は身につきにくいのだと思います。 



最初の2日間ほどは、「何でおれはこんなことをし始めたのか!?」とか疑問におもったり、「早くこれを終えて、名古屋で味噌カツを食いながらビールを飲みたい」とか「帰ったらキャバクラに行きたい」だとか、帰ってからのくだらない楽しみをモチベーションにしており終わるのを心待ちにしておりましたが(笑)、内観が深まると、もっと自分の過去を詳細に調べてみたくなったり、一日経つ時間が短く感じられたりしてあっと言う間に一週間は過ぎていきました。


そしてスマートフォンを一週間見ないという生活に何も不自由がなく、むしろ心の穏やかさを保つのにはとても有効だと感じました。  


兎に角、私はこのように一週間いままでに無いくらいに自分を見つめてきたのです。 まだまだ、徹底できてないなとは思いますが、ここまでやったのだから、もういちいちクヨクヨと過去を振り返ることなく、つまらない劣等感などにさいなまれることなく、前のみを見て歩んでいけるのだと思います。 



皆がゴールデンウィークにバカンスに明け暮れていたり、どこかに旅行にいっていたのとは反対に、私は心の中をこれとないくらいに旅していたのです。 そして、月並みな言葉ですが、「自分だけで生きているのではない」という当たり前の事実を思い知らされたのです。


こういう当たり前の事実に気がつかないほど、現代日本社会は多忙を極めており、みな経済活動のみに勤しみ、情報の渦によって病んでおりますが、このような貴重な時間を持つことができた私はとても運が良く、幸福な人間なのだと思います。 




内観後は、お世話になった方々にお礼を伝え、また以前から知り合っていたこの団体の人とも久闊を叙すことができ、心温まる時間を過ごすことができました。それから新幹線で福岡までもどって来ました。



内観の効果はこれからどのようにして、私の人生に影響を及ぼしてくるのか。 まだ私にはわかりません。 ただそれを最大限に引き出すにはやはり今後の私の生き方にあるのだと思います。 


 


最後まで私の駄文をお読み頂きありがとうございました。


2014-12-18-18.05.16


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内観道場一覧

サイエンズスクールJAPAN(三重)


奈良内観研究所(奈良)


瞑想の森 内観研修所(栃木)


蓮華院誕生寺(熊本)

白金台内観研修所(東京)


その他以下のサイトでたくさんの内観道場が紹介されております。

全国内観研修ガイド


内観でAC・人格障害克服


等など



書籍


内観法
吉本 伊信
春秋社
2007-11












歎異抄 (岩波文庫 青318-2)
金子 大栄
岩波書店
1981-07



南条神興
西村護法館
1916





今これを名古屋駅のスターバックスでスマートフォンで書いている。
実は私は昨日まで千葉県の成田山新勝寺に、三泊四日の断食に参籠していたのだった。

新勝寺の断食といへば、かの二宮尊徳が21日間の断食水行にて開眼したことで有名だが、その他、水戸光圀や昔の作家の倉田百三もここで断食をしていることで有名だ。

ここでの断食は、最近流行の「デトックス」などに代表される健康のための断食ではない。  

酵素ジュースなどでないし、携帯電話やパソコンなどの電子機器の持ち込みは一切不可能で、期間中は水の摂取のみが許され、不動明王信仰の下に行われる心身錬磨の為のストイックな断食修行である。

私はこの断食を、自分自身へのショック療法のつもりでやった。 ずっと一度自分の心身をクリアにしなければとおもっていたのだ。

というのも、私はここ最近非常に虚無的になつているからだ。 


ココ最近今まで信じてきたもの全てに懐疑をもつようになり、何を目指して生きていけば良いのかわからなくなつている。


本なんぞほとんど読んだことなかつた私が、20代前半から読書というものが好きになってそのために、それ以来の私は非常に「観念的」な人間になってしまった。知識ばかり追い回してきていたのだ。



その「知識」というもののほとんどは、私があったこともない第三者がたれかが流す情報であり、つまり何かしらのフィルターがかかっているのであり、それは自分で真の情報かどうかも検討できないようなものだ。


一例を挙げやう。



例えば、「農薬がたくさんばらまかれた野菜のその残留農薬が、近年の鬱病や自閉症の大きな原因になつている」という情報があるとする。   


実際、農薬を使うようになって農家の自殺や鬱病が増えたというデータはあるみたいなので、その情報の信憑性は高いと私は思つているのだが、だがしかし、そのデータの元はどこからきているのか?自分で見たのか調べたのか?    実際に鬱病になった人たちの体の中に溜まった残留農薬を私たちは調べたのか?    実際に自殺した慣行農法の農家さんを知っているのか?



有機農業といへども、未発酵肥料を使った無農薬野菜などはその中に硝酸性窒素を多く含むため、腐りも早く、人体に有毒であり、さらには小さい子供がそのために死亡したということも報告されている。


しかし、私たちは「有機野菜」といへば全て安全だと思いこんでいるふしがあり、それはつまり、ある種の観念によってそう思い込んでいるに過ぎない。    


有機野菜を食べて実際に身体が良くなった、気分がよくなった、という実体験があって信じるのが本当ではないのだらうか。(私は無農薬玄米を食べるようになって身体と精神の調子がよくなったという、経験はある)



上記にあげたのはほんの一例だが、あらゆる情報は検討すべき余地のあるものである。



世の中はこのような「不確か」な情報で満たされている。


私たちはその情報の洪水に身を任せるままに埋もれ、そしてそれによってあーでもない、いやこうだ!などと右往左往してゐるのが現実でせわしない。


食べ物を選ぶにしても、テレビで紹介された「健康食品」などが取り上げられれば、次の日スーパーへその商品を目指して買いにいったり、誰かが不倫をしたというニュースが流れれば、その人物の性格や実体も知らないくせに勝手に怒りを向け激高したり、我々はほとんどバカなのではないかとおもう。


私自身振り返ると、この私こそこの十数年間はあらゆる信憑性不確かな情報(今はやりのフェイクニュース)を「正しい」と信じて生きてきた非常に観念的な人間だった。(もちろん真の情報なのかもしれないのだよ?)
  

また例を挙げる。 マクロビオティックという食養生がある。 マクロビオティックを実践していて本当に健康そうにしている人を私は数人も知らない。   (一人非常に、げんきで健康的できれいなマクロビオティックの先生を知っている)


私が今まで会ってきたマクロビオティック実践者のほとんどはとても不健康そうであり、おっぱいもまな板みたいになっており肌の色もどす黒くっている人がたくさんいた。


ある一定期間のマクロビオティックの実践にはとても効果があるものなのだとおもうが、しかしそのマクロビオティックという思想や観念を「正しい」と思って、身体が欲するから食べるというよりも「頭」で観念的に「良いもの」として食い、無理やりマクロビオティックを実践している人も多いと思う。 つまり、インナーヴォイス(身体の声)を無視して、体の欲するものよりも、誰か第三者が「健康的だ」といっているものを鵜呑みにしているにすぎない。

(私は時々いただくマクロビオティックの料理を非常においしいと思い食べているけれども!)



ブッダは「ありのままを見よ(観自在)」といった。


「ありのまま」を見ていない私たちは、日々いろんなものに不安を抱き右往左往していきている。    あらゆる不確かな情報によって。


そのために私たちは、心の安寧(ニルヴァーナ)を得られない。



少し長くなったが、だいたい以上の理由から、私は観念は危険だと思うようになったのである。 



であるが故に、私は、自分の身体感覚や原始的な直感を取り戻したいがために、あらゆる情報を一定期間遮断したいと思った。  



最初に、あらゆる外部からの観念に支配されてきた私は、今後どうやって生きていけばいいのかわからなくなっている、書いた。



自分のインナーヴォイスを聞くためには、きっと徹底的に自省をする時間が必要なのだと思った。



成田山新勝寺の断食道場では電子機器の持ち込み不可であるということはすでに触れた。   断食中は外部との連絡はとれないことになっている。



日々LINEやSNSのチェックに忙しい日々から逃れられるまたとない機会だった。






今回の断食は人生において、四回目である。




久々の断食だったからか、疲れのため断食初日はほとんど寝てすごしていた。    




毎朝、大本堂にて御護摩に参加し、参拝者らとともに本尊不動明王の眼下の燃えさかる炎を見つめながら慈久呪というマントラや般若心経を唱えた。


断食中は、寺の境内の外には出られないため、成田山を散歩したり併設の図書館で本を読んだりして過ごした。


3日間の断食は、空腹を強く感じることもなく、身体のだるさは多少あったものの、終始調子がよかった。


四日目の朝に、朝の御護摩のあとお粥と焼き味噌と梅干しの回復食を頂いたときの、あの身体に栄養が染み渡る感覚は、いかに食べ物が私たちにエネルギーを与えてくれているのかを実感させてくれる。


今回は、概ね成功した断食だったのだとおもう。



私がお寺を出た4月28日は成田山新勝寺開基1080周年記念祭の初日で、その行事をみることができたことも幸運だった。


私は、断食を終えた後は成田山を発ち、東京へやってきた。    断食後は摂取する食事に気をつけなければいけないのだが、あらゆる食べ物が眼につき、断食中よりもむしろ外に出てからのほうがある意味辛くおもった。


そして、今名古屋にいるとすでに触れたが、それは、これから三重県のある施設にいって、瞑想や心理療法の一種である「内観」といふものに参加するためである。


この「内観」の実施期間中一週間も携帯電話やパソコンの持ち込みは不可である。さらには読書さえゆるされず、つまりは完全に外部情報と遮断されるわけだ。徹底的に自分の過去を内省し思い出していく時間となる。



皆がゴールデンウイークは外に旅に出かけるのとは反対に、私は心の中を旅することになる。


このことについてはまた、気の向いたときにこのブログにて記すこともあるかとおもう。


(成田山の断食堂)
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